恋をして居る。



1.見当もつかず



 低く、まるで響かない。
 其の割に小気味の良い音がした。



 己の頭からだ。



「幾ら何でも死ぬと思う、其れは。」
「死んでねえじゃねえか。」
 有言実行も不言実行も結構だが言っといてやらねえのは見っとも無えぞ。
 言外に死ねと言いながら、今度は顔面に向けて爪先を繰り出した。
 蹴り上げる為ではない。
 其の為ならば玄関迄手頃な靴を取りに行く男だ。
「無理無理無理無理一寸落ち着こう落ち着こうよ、ね。」
 顔面を抉る気満々の右足を両手で防ぐ。
 時刻は朝六時、新しい朝も希望の朝も来たが状況はバイオレンスだ。
「足の親指の爪って言うのはね、別に眼球抉る為とか頬肉抉る為とか鼻穴引き千切る為とかそう言う用件で付いてる訳じゃないから。」
「其れは初耳だな。」
 うん、普通わざわざ言わないよね。
 会話は淡々と続くが腕二本と足一本の競り合いも終わらない。
 世界は無情だ。
 家主と居候との地位は、飼い主と愛犬以上に離れて居る。



「ぇえ、何此の時間。」
 後頭部を掻きながら壁の時計を見上げて声を上げた。
 あれだけ当り散らして未だ収まらなかったらしい。
 鉄製のドアの向こうからどすどすと足音が聞こえる。
 賑やかな出勤だ、隣近所から苦情が来る日は恐らく、そう遠くない。
 先刻蹴り飛ばされた部分を思い切り引掻いて、「痛、」と顔を顰める。
「何だか此の頃頓に横暴になってないかね、」
 まあ、此処半年家賃払った覚えないけどさ。
 アハハ、と笑う声も虚しい。



 実際、何であんなのに惚れたんだろう。
 昔から理屈よりも勘に頼って生きて来たけれど、だからこそ余計に解らない。
 容貌は充分に整って居る。
 でも其れは二枚目、と言う事で、別に美人とか綺麗とかそう言う話では決して無い。
 百歩譲って其れでも辛うじてそう言う要素があったとしても、本人の性格と性質が実に良く滲み出て居て何だかもう全て台無しだ。
 そもそも瞳孔かっ開いた男にそんなものを求めてはいけない、あれに最も良く似合う熟語は間違いなく「物騒」だ。
 学生から続けて居るらしい剣道だか居合いだか、其れと一日の消費量が箱単位の煙草で潰した喉は、何か言う度おまけで罵声を付けて来る。
 生まれて此の方人間の女以外に発情した覚えはないが、なのに惚れて居るのはあの男だ。



 無職は無職なりに出勤時間と言うものがある。
 閑古鳥の声だけは立派故「無職」としか言いようの無い職場に向かうべく寝床を出た。
 元から蹴り起こされた時点で二度寝には微妙な時間だった。
 あれで起こしたつもりなんだろうか、
 そう思えて来るのだから大概、恋愛とやらに救いは無い。



 朝食の残り物を求めて狭い台所を目指す。
 負けず劣らずではあるが独特な其の嗜好を除けば、あの男の料理は決して悪くない。
 作らなければならないから作っているだけらしく殆ど手間の掛からない物ばかりだが、余りを狙う身としては有り難い話である。
 けれどどうにも、一人分をきっちり作る事だけは不得手な男である。



 其処に愛は、多分無い。



next 2.気づくのが遅すぎた