北相屋諸々事 藤豆



 頑是無い、と哂うは容易く、



 若旦那、と呼ぶ声に顔を上げる。
 途中だったが、別に大したものでもない。
 紙から筆を放し、硯に置いた。
 良いよ、声を掛けると、すんなりと、は行かなかったが何とか格好を付けて襖が開いた。
 其の向こうで膝を突き、失礼します、と頭を下げる仕草はどうにも硬い。
 力が入り過ぎだ、
 言い掛けたが、奉公に上がったばかりの頃を思い出せば、まあ、随分ましになった。
 後は慣れか、と苦笑に変えた。
「若旦那、」
 其れを不審しんでか小僧が再び、呼んで来るのに、
「何でも無いよ、お入り。」
 笑いを深めて促した。
 其れにはい、と答えて一緒に入って来た盆はどうにも頼りなく、
「あっ、」
 ついに湯飲みの中の波を捌けずにびしゃり、と零す。
 今度は流石に苦笑も出来ず、
「嗚、良い。其のまま動くな。」
 溜息一つで席を立った。



 慣れた苑香に密り、胸を撫で下ろす。
 淹れた者迄小僧であったら果たして飲めたものだったか。
 実に良く心得た具合に腹の中で誉め転ばすが、
「悪かったから。いい加減其の面を止めてくれ。」
 体躯の割りに、か体躯故に、か。
 兎角負けず嫌いな性質の子供だから、先刻の手助けが気に障ったのは、解った。
 だが、此方だって折角淹れた茶が全て盆の上では困る。
 小僧は唸る様にはい、と、答えだけは返すが、目元の険は其のまま、口先は尖ったままで、
 もしかして飲み切るまで此のままか、
 と、湯気を立てる湯飲みに顔を顰めた。
 嗚、もう。
 だから苦手なんだ、子供は。
 頭の中で弱音を吐いて、
「お出で。」
 困惑は其のままに小僧を手招いた。
「手。」
 にじり寄る様に正面に来た小僧の手を指して、
 小僧が掌を出すと同時、湯飲みと一緒に乗って来た小さな大福を置いてやる。
「 」
 小僧が其れを見てぽかん、と口を開け、
 駄賃だ、駄賃。
 言い掛けた科白は、
「此処迄餓鬼か、」
 どう言う訳か半泣きの眼に睨まれて飲み込んだ。
 嗚、
 嘆息する。
 何だか知らないが、拙った。
 知らない、し、知りたくも無いが、
「拙った。」
 大概毛色の変わった子供だと知っては居たけれど、
「まさか、如月の時鳥がこっちに来るとは思わなかった。」
「何ですか、其れ。」
 知らなかったか、其れより、
「正気か君。」
 先刻迄の睨み顔は何処へやら、ぱちくりと眼を見開いた小僧は、ふうん、と一人ごち、
「正気も本気も、大真実だ。」
 なァんだ、此れッぽちも解ってねえと思ってたのに。
 随分生意気な物言いに、思わず米噛の辺りを掻く。
 どうしたものかね、本当。
 方向が少々おかしい事を除けば、奉公人の身分違いの恋など、掃いて捨てる様な話だ。
 想う位どうと言う事でもなく、けれど、
 方向が、ねえ。
 思い内にあれば色外に、とは言ったもので、気付いてみれば其れが冗談でない事は明白。
 妙な同情もおかしいか、と米噛から手を離し、
「まァ、ねえ、好きにしたら良いけど、万に一も無いと思うよ、」
 女以外を抱く気は無いからなあ、
 中途半端な引導に、
「あったら困る。」
 眉を顰めた小僧は低く答、
 知れた真意に思わず噴出した。
「何だ、其れこそ、君、正気か、」
 込み上げる笑いで途切れ途切れに返す。
 案の定小僧は憎々し気に顔を歪め、
「大真実だって言ってんだろうがッ、」
「だって、なあ。」
 三十超えた主人を抱きたがる馬鹿なんて初めて見た。
 思わず滲んだ目元を拭って、
「嗚、可笑しい。良いよ、気が変わった。」
「え、」
 途端に朱が指すのをわざわざ見届けて、にんまりと、
「万に一しかないけどね、精々頑張りたまえよ。」
「少ねえよッ、」
 折角の譲歩はどうにもお気に召さなかったらしい。



 過去の己を思うは難く、
 孔子が倒るも無理は無い。